哲学、思想、宗教、文学を語る(1): 西洋文明とキリスト教

西洋文明と対峙して、日本独自のものを作っていくためには、

物事を哲学的、思想的に考える必要がある。

この、早稲田大学名誉教授である松原正氏が、

「人間通になる読書術―賢者の毒を飲め、愚者の蜜を吐け」

で書いたことらしい。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20101019/216722/?P=1

彼は、西洋文明の根幹である、キリスト教が理解できない、と

言っているが、それは、キリストのこと、キリストが生まれた

ユダヤの地のことを理解していないからだ。

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そもそも、東洋と西洋は、全く逆、西洋は徹底した個人主義でかつ

一神教、であるのに対して、東洋の思想は、集団主義、仏教、儒教

そして、多神教であり、生々流転、輪廻、色即是空である。

その意味で、東洋と西洋は、全く別の、水と油、融合など決して

できないものである。

だから、そもそも、日本的な、もしくは東洋的な考え方で、西洋を

理解しようというのが、土台無理な話だ。 だからと言って、西洋と

対峙した時に、理解できないので、大したことはない、我々が優れている、

とふんぞり返っても何もならない (バブルの時そのような兆候があったが、

そのために日本は転落した) 

では、いったいどうしたらよいか? 日本人は、同じアジアでも、インドとは

違うし、シナとも異なるある柔軟性を持っている。 東洋と西洋という全く

異なるものを、消化し吸収して、それらをごちゃごちゃにし、

そこから、全く違う新しいもの、新しい次元を作り出す能力をもっている。 

例えば、ロボット。 欧米のロボットは完全な機械だが、

我々の考えるロボットは、機械と生き物の中間である。 この中間、という考えかた

は、西洋の考え方には存在しないし、恐らくアジアの考え方でもない。 日本オリジナルである。

更に、日本の伝統文化には、人間に関するある本質的理解が内包しているような

気がする。 だから、例えば、花をイケることについても、華道という道が成立する

のである。 更に、和食の例にあるとおり、日本の文化は大変感覚的で、

無意識的、繊細である。 季節や風土の変化に敏感である。

日本料理
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%99%E7%90%86


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日本は、明治時代以降、西洋文明を取り入れたが、本当の本質は

理解していないし、その深いところで、決してできないであろう。 なぜなら、我々の

精神的バックボーンがキリスト教ユダヤ教ではないからだ。

そうならば、どうやって独自性、オリジナリティを

出していくのか、という根本問題を解く、これをいよいよ21世紀に

入った現在、取り組んでいかなければならない。

そうしなければ、本当の意味での日本の未来は開けないであろう。