神経数理学とは何か?

最近、よく聞かれる質問なので、きちんと定義しておこう。神経数理学とは、何か?
それは、生物としての神経の振る舞いを数理物理学的に説明する学問研究分野のこと、である。
具体的には、神経のシグナル伝達、シナプス伝達、神経回路網、大域的伝達、行動モデル、
心理モデル、知覚モデル、のこと、またそれらに基づき、新しい脳神経系の数理的統一的説明、
統計モデル、コンピューティングモデル、アルゴリズム、計算方法、およびプログラム、
コーディングのことを、示す。 そこには、統計学習、機械学習、最適化、などの具体的
手法を含む。 新しい手法としては、適応理論、最適化、制御理論、確率理論、統計理論、
非線形理論、などがある。さらに具体的な計算理論としては、確率微分方程式積分方程式
力学系モデル、量子論モデル、量子統計モデル、量子電磁場モデル、スピンモデル、素粒子モデル、
量子神経モデル、超関数理論などがある。


これ以上細かく説明するのは、次回にする。

知覚とは何か?感覚とどう違う? 脳はどのように関与している??

知覚、というのは、周囲の環境を意識すること、自分の身体を意識すること、
そして、感覚情報を、最適な条件で処理することである。

知覚は、脳活動に基づく。 これは、正しい言及であるが、これを言ったから
と言って、脳と知覚の関係を正確に記述したことにはならない。

感覚として、処理されたものが、そのまま、知覚として成立するとは限らない。
例えば、両眼視野闘争(binocular rivalry)を考えてみよう。

右目に、例えば、自動車、左目に、動物、を、視覚刺激として提示してみよう。
単純な情報としては、1)自動車と動物が、空間的に重複して見える、
2)視野の一部では、自動車、視野の別の部分では、動物が、バッチのように
部分的に見える。という可能性が考えられるであろう。

しかし、結果は、これらのどちらの予測とも異なる。

実際に実験をしてみると、まず自動車が数秒見える。そのあいだ、動物は、
見えない(抑制されている)。驚くことに、数秒後、視覚が逆転して、
動物が見える。そしてその間は、自動車の像は知覚から抑制されている。

つまり、視覚像は、一つしか見えない。これが、視覚意識と言われる
現象である。

さて、この意識が、脳のどこで、どのような機能により成立するか、
という問題は、脳神経科学の重要課題である。

ここ10年来の研究で、物体認知、認識、そして物体そのものの
脳内成立過程について、いわゆるフィードフォーワード、フィードバックの
ループが大切な要素であることがわかってきた。

(以下続く)

脳のアーキテクチャー

脳をアーキテクチャー(建築様式)として、とらえた場合、

環境と生物(自分)を動的、適応的に結び付けるソフトウェアが脳、である、
といえるのではないか。

脳神経系というのは、環境に応じて自動的自律的に自分のデザインを可塑的に
変化させる、という本質をもっていて、それに応じで、脳内に自分なりの
世界を作り出しているのではないか。

アフォーダンス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9

生態光学、生態心理学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%85%8B%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6

人間の体は、ある意味、環境によってデザインを進化されたものである、
という仮説を追究するのは、かなり面白い知的作業だ。

行動と知覚(感覚ではない)の複雑な関係

行動(身体運動)と知覚(感覚情報を、認識すること)の関係は、
思ったほど簡単ではない。

以下の4つの場合に分けることができるだろう。

行動をしていながら、知覚していない場合。 典型例。 心臓拍動。
行動していながら、知覚する場合。 これが普通のActiveVision(行動知覚)の定義である。
行動せずに、知覚する場合。 たとえば、夢。 視覚的注意は、行動を伴うことが多いので、これには
当てはまらない。
行動せずに、知覚もしない場合。 たとえば、 ノンレム睡眠時。
知覚していても、それを意識していることもあれば、意識しない知覚も存在する。

意識の場合は、意識を意識する、という再構成化が起こることが多々ある。
また、自意識、というように、行動する主体を意識することがある。

意識の問題点。 人間の意識は特別か? 意識は言葉が必要か?
        動物は意識をもつか? ロボットは意識をもつことが、可能になるのか?

知覚の数値化、数量化は、心理物理学的課題によって、定量化できるが、
意識を定量化するには、どうしたらよいであろうか?
意識レベルは、言葉としてあるが、これを科学的に定義するにはどうしたらよいだろうか。

これが、2015年以降の、脳科学の重要課題のひとつであろう。

量子論の本質

量子論の本質は、エルミート性とヒルベルト内積空間を使った、自然を整数表現

(プラス1、マイナス1)したものである。整数の内積表現なので、

結果はやはり整数となり、それによってベクトル線形表現が可能になる。

ヒルベルト変換の力である。これを直接証明したのが、かのフォン・ノイマン

であった(シュレディンガーハイゼンベルクに刺激されて、連続な式を行列に

置き換える過程で、これを発見した)。


こうして量子論をベクトル行列表現にて、猛然と実現したハイゼンベルクもすごい

(こんなことは、古典的物理学ではありえなかった)が、

波と粒子を結び付けたアインシュタイン=ドブロイ、

さらに、みずからの整数表現と、波の連続的表現をつなぐために、

不確定性原理を思いつき、これによって確率と波をむすびつけたハイゼンベルク

(再度)、そして、それを数学的にベクトル演算子として、「状態」演算子をつくり、

電子と光電効果を表現したディラックの天才はやはり、すさまじい。 そこには量子論

相対化、が同時に含まれている。 これによって、真に電磁気学と(特殊)相対論が

つながり、のちの量子電磁気学の走りとなった。


つまり、波動性と粒子性を結合するのは不確定性原理であり、

これによって粒子的量子と、波動的場が統一され、粒子は場であり、

場が粒子と相互作用する、というような、場と粒子が可換な数学的表現が

可能になったわけだ。

即ち、古典的波動方程式を応用し、ボーアの量子モデルを数式化した

シュレディンガー方程式(連続)は、ハイゼンベルクの量子のベクトル表現(断続)

に対応させることが、可能になった。 

(注1: ベクトル表現と、連続ー断続の解釈が今回新しい。前回は、ここにどうしても至らなかった)


(注2 朝永先生は、ディラク方程式導出のいきさつを、彼なりの解釈(アクロバットと称している)で

記述されている。ここで、出てくるマイナス項がゆくゆく、陽電子を導く)

これが、量子論の本質である。


面白いことに、1年前にも、同じような思考をして、同じような理解を

量子電磁気学の理解として、まとめていた。 しかし、本質的な理解は今年になってさらに深まったと

信じたい。


量子力学場の理論の簡単な説明
http://d.hatena.ne.jp/yasutotanaka2000/20131004/p1


今回は、とりわけ、ヒルベルト性、エルミート性から、量子(整数)が生まれてくる、

という点に論点を絞った。 数式なしで、文章で記述するのは、曖昧性が残るが、

本質を記述する練習にはなる。

フォンノイマンによる、量子論ヒルベルト形式解釈については、次回以降。

脳は一体何をやっている?

感覚器からの入力の処理、
意識と意図の作成、
生命維持、身体維持、
感覚統合
運動系の統御、制御、
感覚系と運動系の協調動作

これらを、マイクロセカンドの速さ、マイクロメータの細かさで、10の10乗のオーダーで
計算している。

これは、純粋に私個人の推測であるが、もしかしたら、量子論的計算を行っているかもしれない。
完全な証拠がある訳ではないが、傍証はいくつかある。

その規模から言っても、情報処理量からいっても、まさに宇宙物理学的スケールだ。
量子論と相対論が結びつくところが、宇宙物理学であるが、

もしかしたら、脳の解明には、宇宙物理学が必要になる日が来るかもしれない。

今はまだ、脳と宇宙とか言えば、変なマスコミとか、似非科学者が、比喩的に使っている
レベルだが。。

実際、最近の神経科学のはやりは、光子を使ったイメージング、そして、光子といえば、
量子そのものである。

もう、すぐそこまできている。

感覚の可塑性、知覚拡張の可能性

神経系は、自分で感覚意識する以上のものを、センスしている。

例えば、 聴覚でいえば、自分が聞こえると意識するのは、だいたい50Hz程度だが、

厳密なテストを行えば、20Hz付近でも、信号を感知している。

同様に、高周波においても、約2万Hzの周波数信号を蝸牛有毛細胞はセンスしているが、

実際に聞こえているのは、1.2〜1.6万Hz(年齢による)である。



ということは、感覚の訓練によって、知覚が可塑的に変化し、能力を拡張できる

可能性がある。


更に、知覚は、認知から記憶とつながる情報処理機構であり、

知覚的記憶、知覚学習が生じることが、行動学的、神経科学的にわかってきている。


ということは、記憶や行動様式が、知覚によって変化することが可能である、

ということを示す。


これは、脳神経系が、人間が生きている限り、可塑的な要素をその本質として

もっているという事実を示している。




脳については、情報処理の化けものであり、今の情報処理の論理では、とても

太刀打ちできない。 単純な、コンピュータ、ネットワーク、統計、物理、数理

モデルでは、絶対に説明不可能である。(もし可能であるというひとがいたら、

連絡してきてください。今のところ世界にそんな人はいないはずだ)



よって、こういった脳の可塑性が、どのようなメカニズムによって発生している

かは、未だ仮説の領域を出ない。