脳は時間をどう扱っているか

脳にとって、時間というのは不思議である。

時をかける少女」、という映画を久しぶりにみて (アニメ版)時とは、 そして脳における時間とは何だろうか、と哲学的に考えてしまった。 

脳は、時間をどのように取り扱っているのか。まずは、感覚情報処理は、時間がかかる。感覚を使い、知覚を成立させるために、脳は時間をかけている。そして、過去の時間は、記憶によって取り扱われる。記憶は時間とともに、変わっていく、記憶の変容というのは、認知心理学の記憶研究にあるが、それは、時間感覚と相関するのか。時間は空間をゆがめる、というのは 空間を時間を含めた定義をすればなるほどその通りだ。 では、なぜ空間の記憶は簡単にできるのに、時間の記憶はできないのか?

ある哲学者は、「時間感覚は、実際に経験している間は、リッチだが、終わってみるとそのリッチな感覚がなくなってしまい、過去の体験が一瞬で過ぎ去ったように感じる」と言っていた。

時間感覚に関して特に面白いのは、未来と過去の違いだ。未来は1秒先のことを予測できないが、過去は数秒あとのことまで、残っている、という感覚がある。

少し考えてみると、心理的な空間というのは現実空間である必要はなく、最低2つの次元があれば、それらを使って構成空間を構成することが可能である、ということがわかる。脳の空間を作る神経は物質だが、脳の内部の空間とは直接は関係ない。時間を、空間とその中のイベントが変化するものと考えると、脳の時間処理は、心理空間とその記憶、記憶の引き出し方に関係するに違いない。

脳に関連する時間をリアルタイムの神経活動時間と、その結果の記憶の2つに分けると、理解しやすいかもしれない。

脳による心理空間については、何らかのマッピングで構成すればよいので、基本的な座標変換をすればよいので、計算論を形成するのは楽だ。それに対して、心理時間の構成については、現実時間(時計の刻む物理的時間)から心理時間への変換をする際に、単純な座標変換で心理時間ができるとは、考えにくい。まず、知覚するのに時間がかかる、そのプロセスは
ある一定の範囲では線形モデルが適用できるが、それ以降は
非線形で、既に一種のメモリーとの相互作用がある。時間間隔はそこで既に成立している。更に、長期にわたる(数時間以上、一日以上)場合には、一時的記憶(作業記憶)が長期記憶に変換され、それを思い出すプロセスと時間知覚が関係しているの違いない。

それゆえ、先の哲学者のような観察が得られるのであろう。
(つづく)