なぜ量子論が必要か?

物理学において、なぜ量子力学が必要であったのだろうか?
朝永振一郎先生にならって、時代を100年ばかり戻してみよう。

当時は、電磁気学はマックスウェルの方程式で説明されたが、光は波動か粒子か
という問題が解決できなかった。さらに、場を想定するエーテルという存在が仮定
されたがそれに相当するものが見つからなかったばかりか、エーテルでの説明は矛盾
だらけであった。

もちろん、量子力学素粒子論や量子電磁気学の基礎になっている、というのは
当然として、もうすこし根本的に考えてみると以下の理由が考えられる。

1. ニュートン力学古典力学)的な、連続体の考え方では、光子、電子、原子の
   粒子的ふるまいを正しく記述できない。 そもそも、粒子というのは
   断続的アイデアである
   (注意: ただし、1900年初頭には、まだ電子と原子のモデルそのもの
    がなかった。それが最初に提出されたのは、アインシュタインの光量子仮説、
   そしてボーアの原子・電子モデルである)

2. 電磁場を考え、素粒子の電磁場との相互作用を考えた場合、
   必然的に出てくる、波動(周波数)と粒子性(位置)の不確定性、
   さらにそれらを使ったエネルギーの確率性は、古典論では説明できず、
   量子論の理論化が必要である
  (アインシュタインの光量子説と、ドブロイの波動方程式を待つ必要があった)
   それゆえ、電磁気と光を扱う分野では、量子論を基礎としないならば、
   それは間違った理論化である。
    
   ちなみに、量子電磁力学の成立により、初めて量子電磁場が成立した。
   これが、エーテルに対する直接の答えであるが、その成立には、量子論
   成立から、朝永先生とリチャードファインマンの場の量子論を待たねばならない。


3. スペクトル基線の不連続性を考えた場合、それを説明するためには、
   何らかの非連続、量子的な仮定が必要になった。
   しかし、スベクトルは、波でもあり、波と粒子の両方の要素を含む
   必要があった。当然、古典力学では、波か粒子か、という議論しか
   できず、波でありかつ粒子である、という量子論を構築する必要があった。
    

4. マクロ系の理論体系である熱力学をミクロの観点から説明した
   熱統計力学において、古典力学運動方程式に基づいた分子運動論の
   展開において、物質を量子的かつ統計的にとらえなければ、熱統計力学
   理論として成立しなかった。

1,2,4は、実はMaxwell電磁気学を理論化したとき、すでに彼の頭の中では
無意識に考えていたことであったが、それが20世紀になり、具体化したとき、
彼の想像をはるかに超える世界が展開された。実際、論点2から生まれた世界は
広大である。まずは、電子と核子としての陽子と中性子の発見、そして素粒子の展開
である。いかに、その後の数十年間で起こった出来事を列挙する。

例、宇宙論量子化学、電子工学、信号処理、量子コンピューティング などなど。

注:  アインシュタインは、1,2がどうしても納得できなかった。 
    なぜだろうか? 不確定性、確率的世界記述を認めない、という単なる美意識、
    哲学的問題であろうか? 皮肉なことに、ボーズアインシュタイン統計では
    量子論を援用しないと、その理論化そのものが不可能である。

量子力学は、本質的に、確率的、統計的な理論である。エネルギー、軌道、時間
などの基本量は、統計量であり、確率的である。これは、自然が確率と統計から成立して
いることを表している。数多くのものごとを記述するときの、理論が確率論とすれば、
これ以上の近似はいまのところ、存在しない。

アインシュタインは、その未決定性に我慢がならなかったのであろうか? 
それとも、一般相対性理論の大成功という成功体験から脱することができなかったか?