教科書の書き方:論文との違い

教科書、というのは、いったいどうやって書かれるものであろうか? 昔、国語の先生がいたが、彼は、間違いなく教科書選定委員会委員をやっていたに違いない。なぜなら、当時,その先生の考え方をトレースした結果、現代国語がすらすら解けるようになったからだ。どうやら、教科書を作るための必要十分条件、というがありそうだ。教科書を作る、しかも、それも大学生・大学院生用としてである(理工学部、医学部)。 
どういう立場で教科書を作るか。著者として、というより、むしろメッセンジャーとしての役割、という、通信理論にのっとってやるのがよいのかもしれない。
一番のポイントは、その教科書を読めば、分野が概観できて、研究がすらすら進むようになる、という、夢の教科書を作る必要があるのかも。ぼくなら、そんな教科書がほしい。

そもそも、本と論文では、執筆方法が異なる。まずは、
明らかに読者が異なる。論文の場合には、専門家と科学者相手であるが、本の場合には、明確なターゲット(学生、研究者の卵、一般読者など)と執筆目的が存在する。これらをよく考えて、さらに嘘を書かないようにしなければならない。自分を出さず、客観的に、淡々と書く、ということも求められる。 単に出版部数と印税を稼ぐいい加減な「脳科学者」とは異なる、ということも認識しておく必要がある。