なぜ人間は神を作ったか?

神という概念は面白い。

イスラエルにいたとき、お前は神を信じるか、と何度も聞かれた。

キリスト教の神、ユダヤ教の神については、分からないが、宇宙と世界を支配する

なんらかの原理が存在することは、認める、と答えた。 


それが、神だ、と言われた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E


人間が、サルから進化して、抽象的思考が与えられたとき、

ものごとの本質を追究しようという欲望が生じた。そして、その究極が神だ、

と信じていた。


  では、人間は神を必要とするのか? 人間には神の存在が必要で十分なのか?

神は、時に不完全に思え、怒って町を滅ぼしたり、自然を使って、大災害を

与えたりする。神に感情があるかのように、まるで人間であるかのようにふるまう

神は、人間にとって奇妙な存在で、本当に必要なのか、神がいれば、人間は

本当に幸せになるのか、それがどうしてもわからなかった。


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 人間が、未だに進化の途上であり、実はいまだに動物的な本能や欲望に支配

されているものだと仮定しよう。実際に、争いやいさかいは、あるレベルの欲望、

例えば、水がない、太陽がない、笑いがない、女性がいない、などの理由で起こる。


もう片方に、水がある、太陽がある、笑いがある、女性がいる、という場合には

なおさらである。 ということは、人間は未だに、未発達な、発展途上の、

そして、「青い」存在である。


 人間が、次なるステージに進化するためには、どうしたらよいであろうか?

より高次の知能、より高次の感情、より豊かでより幸せでより平和な社会を築く

には、一体どうしたらよいであろうか? より自然を理解し、より災害に強く

よりよく他人と世界を理解するには、何が必要であろうか?

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不完全なものが、完全を目指そうとするとき、そこには、目標、理想、夢が必要である。

完全なるもの、理想的なもの、憧れるべきもの、人間の次の世代の霊長類、それを目指せば、

不完全で、不憫なこの人間という存在は、すこしでも、完全に近づこうと、理想に近づくために

努力することができる。


恐らく、これが、神がこの世に存在する理由、人間が神という抽象概念を作り出した

理由であろう。 こういった意味で、パスカルは人間を「考える葦である」と記述した。


逆に、人間は不完全で、不憫である、このような認識を持てなくなった

人間には、要注意したほうがよい。 自分が人間を超えたと勘違いし、他の人間を踏み

にじった、歴史的にそのような人間が、どの国にも存在するからだ。

「神をも恐れぬ」という表現は、このようなことを諌めるために生まれたのに違いない。